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6月の同朋の会

『仏事ひとくちメモ 中陰・法事編』を読み、仏壇についてのお話しをききました。

お仏壇=お内仏も、ついつい亡き人を供養するもの、と考えてしまいがちですが、真宗ではやはりこれもあくまで亡き方たちのはたらきを通して、今に生きている自分達のためにあるものだ、というお話でした。
「私たちがお内仏の前に座り念仏をとなえ合掌するのは、生きる依り所を学んでいくことなのです」(ひとくちメモより)

時節柄、新盆についての質問がありました。
よくお盆のお飾りとして聞かれる、ちょうちん、なす・きゅうり、等は真宗ではいずれも必要ありません。ただ、もし遠くのご親戚から頂いたりしたものがあれば、とくに使っても問題はないとのことでした。わざわざ買い求める必要はまったくないそうです。

さて次回、次回の同朋の会は 7月23日(土)14時~ です。
その前には早いものでお盆ですね。またお知らせいたします。
(M)

5月の同朋の会

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今回はちょっとしたきっかけから、あらためて真宗の教えの基本とは、というお話になりました。

健康面にせよお金のことにせよ、ついつい普段の生活がうまく行っていると安心、逆になにか調子が悪くなると不安を感じてしまう私たち。それが悪いわけではなく、人間とはそういうものです。
自分が期待する結果なら安心、でもそれはあくまで一時的な見せかけの安心、人間が作った土台の上の話でしかない、必ずこわれてなくなる、不安定なものです。

そうではない、阿弥陀部さまの教えを生きる土台にして、調子の良い時も悪い時も安心していましょう、というのが真宗の教えの根本で、正信偈の回向の最後、「往生安楽國」というのはそんな阿弥陀さまの世界なのだ、とのことでした。

私が今年に入ってからずっと体調がすぐれないので、よくわかるのですが、やはりつい身近な安楽を求めてしまいますね…

来月は6月18日(土)14時~ の開催です。
みなさまのお越しをお待ちしております!
(M)

4月の同朋の会

今日は4月の同朋の会でした。
桜も散り、すでに新緑が目に鮮やかな一日です。

今回から『仏事ひとくちメモ 中陰・法事編』をテキストとして読みはじめました。

正直「中陰」という言葉をあまり知らなかったのですが、人が亡くなってからの四十九日間を「中陰」とよぶとのことです。その期間の後に行われるのが、いわゆる「四十九日」の法事なのですね。

その期間に追善供養をすることで亡くなった方が成仏する、という考え方もよく聞かれますが、そのことが葬儀にまつわる色々な迷信をつくった原因でもあるようです。
身近な人の死が、すこし間をおいてまた強く実感される「中陰」の期間に、亡き人を通して自分の生き方を問われていることを静かに考えるのが真宗門徒の姿である、とのお話でした。

さて次回、次回の同朋の会は5月21日(土)14時~ です。
ようやく暖かく、気持ち良い5月の午後、ぜひ西福寺までお運びください。
(M)

3月の同朋の会

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今月も引き続き葬儀のかたちについてお話しを聞きました。

真宗の葬儀の話を聞いていると、人の死に対して感情的になることから少し距離を置く、という考え方があるように思います。
東日本大震災からちょうど5年という時期で、テレビ等から「慰霊」という言葉をよく耳にしていたので、たとえば「何の落ち度もないのに突然の事件・事故などで亡くなった方を慰霊する気持ち」なども真宗の教えからすると少し違うものなのか、住職に質問してみました。

「慰霊するという気持ちじたいは人間の自然な感情で、それが悪いわけではもちろんない。亡き人とお別れをしなければならない、という感情の部分を切り捨てるような『冷たい教え』というわけではない。ただ、『慰霊の感情』を越えた先のことを見てほしいという気持ちはある。
蓮如上人の有名な『白骨の御文』にあるように、『今日とも知らず明日とも知らず』おこりうるのが人の死。いつ死んでもおかしくないことを頭ではわかっていても、つながりの近い人との関係が断たれた時に、私たちは誰でも打ちのめされてしまう。その時には、どんな慰霊の気持ちも手遅れで、決して癒されず、報われない— そんなふうに自分の価値観がゆらぐ時こそ、教えに出会う契機になるのではないか…」というようなお応えを聞きました。
そして、それが葬儀というものの意義であるのかもしれません。

そんな会の直後、私の親しい友人の父が亡くなり、家族葬を選択した、という連絡を受けました。なんとも複雑な感情におそわれました。こんど彼に会ったら色々話してみたいと思います。

さて次回、次回の同朋の会は4月23日(土)14時~ です。
まだ少し寒い日が続きます。体調管理に気をつけて過ごしたいと思います。
(M)