2025年最初の同朋の会は、「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」、という慶讃法要のテーマを今一度確かめることから始まりました。
今回は「意味をたずねていこう」というところに焦点を置きました。「たずねる」となると誰にたずねていくのか、何に問うていくのか問題となります。たずねていくのは自己啓発や方法論ではございません。仏の教えです。
真宗門徒は釈尊が伝え、七高僧が受け継ぎ、親鸞が明らかにした南無阿弥陀仏の教えを聞いています。南無阿弥陀仏は称えたからといって、自分自身がスーパーマンになるような呪文ではございません。
阿弥陀様がなんとか衆生を救わんとして誓われ、受け入れる先の世界を創られました。阿弥陀の浄土です。娑婆世界の私たち衆生が阿弥陀の浄土に気付き繋がる手立て、目印としてお念仏「南無阿弥陀仏」という行の形をとられました。阿弥陀様が衆生を救わんとした願いが込められている「南無阿弥陀仏」、お念仏の教えを聞いていく。それは人と生まれた意味をたずねていく私たち真宗門徒の大切な視座です。
(筆・釋裕香)