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2025年3月の同朋の会

 帰敬式を皆さんご存知でしょうか。帰敬式は仏弟子になり、南無阿弥陀仏の教えを根拠として生きていこうという表明であり、生きている今から法名を授かる場です。

 さてその帰敬式ですが、文字からすると敬うところに帰する式です。敬うというのは実は本当に難しいことです。自分が何かを敬うとして、その敬いに自分が先立っていたり、自分の中の基準を持って評価している場合は、果たして本当の敬いでしょうか。
 自分が先立っているならば、敬いの基準が自分の状態に左右され、定かなものではございません。その場その時の自分にとって都合が良いかどうかが敬いの基準なら、それはつまり敬いという名の煩悩です。

 本当に敬うというのは難しいものです。私たち真宗門徒にとって、本当に敬うものは既に先達に示され明らかにされています。

 三帰依文という有名な言葉があります。仏・法・僧(さんが)に帰依することを表明する言葉です。仏は釈尊です。法は浄土真宗では本願念仏の教え、南無阿弥陀仏です。そして僧はここでは「僧伽(さんが)」を指します。僧伽は御同朋、御同行の皆さん、そしてその私たちが集う聞法の場です。

 聞法の場に身を運び、仏の言葉に耳を傾け南無阿弥陀仏の教えを聞いていく。それは大変尊く、獲難いものです。機会、機縁に恵まれたならば是非皆さん帰敬式を受けましょう。

(筆・釋裕香)