間もなくお彼岸を迎えます。真宗において「彼岸」とは 阿弥陀仏の「浄土」のことです。私たちの迷いの世界である「此岸」と分けて考えがちですが、そうではなく、「此岸」は既に「彼岸」に包まれているのです。つまり、私たちは既に極楽浄土の中にいるのです。そして浄土から 私たちの在り方や生き方を絶えず問いかけられています。浄土はいろいろな形をとって私たちにはたらきかけ(方便・応化)、私たちがそれをきちんといただいていけば自ずと生活の構え、態度がそれに応じていくのです。
お参りという習慣の中には、そのようなことが含まれています。頭を下げ手を合わせ感謝の気持ちを表します。どこに手を合わせるのでしょうか。私たちは物事を自分のものさしで見てしまいます。人それぞれものさしは違いますが、どんなものさしを持っていてもすべてに当てはまる共通する尊いもの、本当に尊いもの、ご本尊に手を合わせるのです。
(筆・坊守 釋尼育英)

