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2026年7月の同朋の会

 今回は『歎異抄』第八条、「念仏は行者のために、非行非善なり。」という言葉から、行為としての念仏を確かめていきました。

 南無阿弥陀仏、お念仏は浄土真宗の門徒にとって、行でもなく善でもない。なぜなら念仏は自分の行為ではなく如来の促しだからです。

 阿弥陀如来が私に念仏を言わせている。「私が念仏をしよう」と思う一歩先から阿弥陀様が促しているのです。私達、凡夫が手を合わせて「南無阿弥陀仏」と口にする。まさしく阿弥陀様が私達にはたらいている形です。

 阿弥陀様がはたらいているから「南無阿弥陀仏」は自力ではなく、他力の念仏です。
 ただ自力と他力の関係は相対的なものではありません。親鸞が「自力をはなれたる」と言っているように、他力がはたらいたら自力が消滅するということではなく、他力がはたらくことによって自力を中心にして生きる自分の姿がハッキリするのです。このように私たちにもたらせる功徳はまさしく如来の善です。

 「南無阿弥陀仏」、自分が自分の声を聞く。一番普遍的な聞法だと思います。

(筆・釋裕香)