先日の慶讃法要団体参拝のとき、比叡山で昼食を食べたました。そのとき山の僧侶が「山の環境で静かに修行して精進料理を食べる生活に親鸞聖人は感動したのでは」という旨のお話をしていたのですが、これは大きな誤りでございます。
親鸞聖人はむしろ比叡山での生活には感動出来なかった人でございます。自力で修行をしても煩悩消えず菩薩道成就せず、苦悩の果てに六角堂に百日参り仏様より夢告を受け、29歳のとき遂に法然上人に出遇います。この法然上人との出遇いが親鸞聖人にとっての感動でした。
しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の歴、雑行を棄てて本願に帰す。
『教行信証』の後序の有名な一文です。簡単に訳すと「わたくし親鸞は29歳のときに、自力修行の道を棄てて本願念仏をいただく道に帰依する」です。法然との出遇いについてとても力強い言葉で語られています。自力修行の道を捨てるのではなく棄てるのです。捨てるならば拾うこともありましょう。ですが「棄」はなげすてるという意味です。廃棄や死体遺棄といった言葉が例に挙がるでしょう。つまり棄てるならば拾うことはありません。あえて「棄」の字を用いたのは親鸞聖人の自力を棄てて他力に帰すという強い決意の表明だと受け止めています。
いつでもどこでもだれでも念仏すれば、阿弥陀仏によって、救われていく念仏の仏道…法然上人との出遇いによって親鸞聖人にもたらされたただ念仏の教えは親鸞聖人に大きな感動を与えると共にその後の人生において彼の大きな原動力になっていきます。それは流罪された後の関東での活動、数々の遺された執筆から感じることが出来ます。
(筆・釈裕香)