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2023年8月の同朋の会

 8月19日は格別に暑い1日でした。この暑さはいつまで続くのでしょうか。
 今日は西福寺副住職による「自力と他力」についてのお話でした。
 「自力」ということばの方がわかりやすいでしょうか?自分の力で何とかする、頑張るといった意味ですね。一方世間で流通している「他力」は他人まかせ、人の力をアテにすると受け止められ、努力を怠っているようなマイナスな感さえありますね。この場合他力よりも自力の方が受け入れやすいでしょう。でも真宗でいう他力とはそれとはまるで意味が違います。そういう話ではないのです。
 正信偈依釈段の第一に登場する龍樹菩薩は、お釈迦さまの教えは「縁起」「空」であるという中道仏教を提唱されました。そしてそれが私たちの上に成就していく道として「称名念仏」を説かれたのです。


  顕示難行陸路苦
  信楽易行水道楽


 書き下すと「難行の陸路苦しきことを顕示して」、「易行の水道楽しきことを信楽せしむ」です。
 難行の陸路とは自力の仏道です。自分の力で菩薩道をすすむ、これは親鸞聖人でさえかなわなかったことですね。「人事を尽くして天命を待つ」、この場合思う通りの結果が出ないと不平不満が出ます。故に最後は神たのみとなります。
 一方易行の水道とは、念仏を称えることで誰であっても救われるという他力の仏道です。


  他力とは如来の本願力なり


 当山の掲示板でご覧になった方もいると思います。「天命に安んじて人事を尽くす」、天命は阿弥陀様の願い、本願です。阿弥陀様が必ず救いとってくださるのだから阿弥陀様にお任せして、結果がどうであれ、自分に与えられたこと、するべきことに全力を尽くす。これは他人の力をアテにするという現代語とちがいますね。
 こうして並べて対比していると、自力と他力は対立するようにとらわれるかもしれません。しかし人間のする自力も他力の内にあるのです。自力を自力と気付くのも他力のはたらきがあればこそなのです。

(筆・西福寺坊守 釈尼育英)