今回は西福寺の報恩講に今年も来てくださった蒲先生のお話を振り返って行きました。
蒲先生のお話の中で「原点に還る」というテーマが掲げられました。親鸞聖人がいただいた原点を私たち真宗門徒も原点としていただいていく、それはどういうことでしょうか。
親鸞聖人が9歳から29歳まで所属していた比叡山延暦寺は当時の最高学府です。仏教を学び修行が出来る最高の環境でしたが、親鸞聖人はそこでは生死出づべき道は見つかりませんでした。そして山を降りて法然上人の草庵に行き、激的な体験をしたのです。法然上人の草庵はどんな人でも、身分性別関係なく集える世界でした。念仏の教えとそれに相まって広がる光景、阿弥陀の本願に頷く人たち…まさに法然上人のもとには様々な人が集まり互いに輝いていました。
当時もともと流行っていた極楽浄土の思想は上流階級に限られたものでした。比叡山も女人禁制です。それを法然上人は武士や商人、猟師、女性など全ての人に「南無阿弥陀仏」の仏道を開放しました。「南無阿弥陀仏」のもとに誰でも人々が集まる光景、身分や能力、性別などで比べることがない平等な世界でした。まさしく親鸞聖人が雑行を棄てて本願に帰した原点です。
では親鸞聖人が体験し私たちに伝えて下さったことを、私たちはどういただいていくのでしょうか。生活していく上でお念仏は原点となっていますでしょうか。皆さんもどうぞ自問してみて下さい。
現代社会、昔とは比べものにならないくらい情報は溢れています。日常生活を送るだけでも世間に流布している善悪の価値観に流されることも少なくありません。しかしふとした瞬間に比べることのない阿弥陀の浄土から照らされて、自分が過ごしている世界を見つめ直す、比べざるを得ない人間の本質に気付くことがあります。
そのときどきの価値観に振り回されっぱなしの人生はとても空しいものです。必ず善悪、勝劣がつきまといます。それにいつまでも勝ち続けることなんて出来ません。しかし阿弥陀の浄土が生活の原点となっていれば転んだとき、迷ったとき自分を振り返る機縁となり軸となります。蒲先生が話された「原点に還る」というテーマはこのことを皆さんと共有したかったのではないでしょうか。
(筆・釋裕香)