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2024年3月の同朋の会

 今回は住職の話を聞きながら門徒の皆さんと一緒に「彼岸」と「此岸」を確認していきました。
 門徒の皆さんの話では三途の川を挟んで極楽の世界の「彼岸」、地獄の世界の「此岸」というイメージが挙げられました。
 仏教では極楽浄土は別け隔てのない世界で阿弥陀仏の住する世界です。また親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」と称えてふたごころなく阿弥陀仏に帰命するあり方を「自然(じねん)」と表現しています。自然とは自分のはからいをいれない、自我に基づいた良し悪しのとらわれから離れるあるがままの様です。
 そして地獄は別け隔てのある世界でまさしく私たち人間が住んでいる世界です。人間はそれぞれ思いを持っています。好き嫌い、良し悪し様々です。違う思い同士がぶつかり合えば傷つけ合って争いになります。痛みと苦しみが生まれ絶えない世界を私たちは生きています。
 彼岸と此岸、極楽と地獄、直感のイメージではあの世とこの世、死んだ後の世界と思うかもしれません。普段、日常を過ごす中ではなかなか自分が地獄に生きているなと感じられる瞬間は多くないかもしれません。しかし私たち人間の眼が煩悩で曇っていても、ときに阿弥陀仏の浄土や自然(じねん)のあり方は対照的な私たちの地獄の様相をくっきり明瞭に観えるように気付かせてくれます。そのような今の自分を気付かせてくれる機会が私たちが住んでいる地獄と阿弥陀仏や諸仏の方々がおられる極楽浄土の接点ではないでしょうか。


(筆・釋裕香)