報恩講もおわり、すっかり年末が近い雰囲気です。
陶芸が趣味の門徒さんが、恒例の来年の干支の陶器細工を持って来てくださいました。
毎年、これを見ると年末を感じるようになりましたが、それにしても1年があっという間です。
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「『ただただ念仏するのが真宗』であるとわかってはいても、『南無阿弥陀仏』を無心にとなえるのは難しくて、どうしても雑念が入ってしまう、という門徒さんの言葉から、みなさん、お念仏の際に何を願ってますか? という話になりました。
こうしたい、ああしたいという思いはつきないものの、ではその思いがうまく行かなかった時にどうしても落ち込んでしまうものです。
たとえば、健康で元気な自分を基準にしてしまうと、病気の時にはそんな自分にがっかりして気落ちしてしまうことがあります。早く治したい、病気の自分は自分じゃない、という気持ちに誰でもなると思います。よりどころが自分のものさしになってしまうのが、ふつうの人間です。
しかしそこで、「ほどほどで手をうつ」「身の程を知る」という考えが有効かもしれません。親鸞聖人は、「己が分を思量せよ」と「分」を説いて、「わかったつもりになってはいけない」とおっしゃったそうです。
「病気の自分も自分である」「その時その時の自分がある」と考えられれば、すこし気楽になるのかもしれません。雑念があるのも人間、そのリアルな望み(健康、お金、仕事…等々)は達成できたら嬉しい。でも達成できなくても、それはそれでいい。そう思えることも大事である、とのお話でした。
また住職は、「<思いの自分>から<事実の自分>へ」とも言われていて、なるほどなあ、と思いました。これもわかったつもりになっているだけかもしれませんが……
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参加者はすこし少なめでしたが、いつになく活発に意見を交わした会になりました!
次回の同朋の会は12月17日(土)14時~ です。
年末の忙しい折ですが、参加をお待ちしております。
(釈正裕)