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2026年2月の同朋の会

 来月お彼岸を迎えるに当たり、その意味を考えました。太陽が真西に沈む日を中央に置いてその前後3日間ずつ、計7日間をお彼岸、浄土の期間と言います。彼岸は極楽であり、浄土であり、比べることの無い、好き嫌いや上下のない世界です。それに対して私達のいる此岸は穢土であり地獄であり、分け隔てて好き嫌いをし、上下関係のある、傷つけ合う世界です。私達はそれぞれ価値観、思いがあり、またすぐ比較をします。それにより、分け隔てるし好き嫌いも生じるのです。


「凡夫というは 無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、」(一念多念文意)


 せめて年2回ある彼岸の期間に分け隔ての無い浄土を考えましょう。ご本尊に手を合わせましょう。
      

筆・坊守 釈尼育英

2026年1月の同朋の会

 1月1日の修正会でも触れましたが、1年の始まりとあって、「浄土真宗という道理を生きる」についてのお話でした。比べることが無い浄土という世界の有り様を生活の根本にし、道理を確かめていく教えが浄土真宗です。浄土と私をつなぐのは念仏だけ、浄土が南無阿弥陀仏によって開くのです。南無阿弥陀仏が私の生活の中心となることで、安心をいただけるのです。行く道がはっきりすれば、自分が迷っていたことに気付けるのです。誰もが皆迷っているのです。それに気づけるかどうか。もし道に逸れ迷ったとしても、また戻ればよいのです。進むべき道がはっきりしているのですから。浄土真宗という道理を生きることは、
どんな生き方をしようが根本は南無阿弥陀仏ということです。


筆・坊守 釈尼育英   

 

2025年12月の同朋の会

勤行のみ厳修

2025年11月の同朋の会

 今年の報恩講でいただいた法話のテーマは「回心」でした。「雑行を棄てて本願に帰す」回心された親鸞聖人の述懐です。親鸞聖人にとって法然上人との出会いそのものが回心でした。回心とは、衝撃的な宗教体験を通じて今までの自分が壊され今までの自分でいられなくなるということです。そして回心はただ一度だけであり、聞法の歩みの中で開かれていくものなのです。
 

「回心というは自力の心を翻し、すつるをいうなり」(唯信鈔文意)


 私の心、私の力を頼まず、自分の価値観にとらわれないということです。

「その回心は日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧を賜りて、日ごろのこころにては、往生かなうべからずとおもいて、もとのこころをひきかえて、本願をたのみまいらするをこそ、回心とはもうしそうらえ。」(歎異抄)


 ひと度、阿弥陀さまのはからいで回心させていただけば、渦巻く煩悩、多様化する社会の中にあっても、流されず、手を合わせ、念仏申す生活をせざるを得ないのです。


筆・坊守釈尼育英

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