皆様にお知らせです。
今後は同朋会を隔月とし、間に聖典学習会を行います。
奇数月が同朋会、偶数月が聖典学習会となります。
来月お彼岸を迎えるに当たり、その意味を考えました。太陽が真西に沈む日を中央に置いてその前後3日間ずつ、計7日間をお彼岸、浄土の期間と言います。彼岸は極楽であり、浄土であり、比べることの無い、好き嫌いや上下のない世界です。それに対して私達のいる此岸は穢土であり地獄であり、分け隔てて好き嫌いをし、上下関係のある、傷つけ合う世界です。私達はそれぞれ価値観、思いがあり、またすぐ比較をします。それにより、分け隔てるし好き嫌いも生じるのです。
「凡夫というは 無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、」(一念多念文意)
せめて年2回ある彼岸の期間に分け隔ての無い浄土を考えましょう。ご本尊に手を合わせましょう。
筆・坊守 釈尼育英
1月1日の修正会でも触れましたが、1年の始まりとあって、「浄土真宗という道理を生きる」についてのお話でした。比べることが無い浄土という世界の有り様を生活の根本にし、道理を確かめていく教えが浄土真宗です。浄土と私をつなぐのは念仏だけ、浄土が南無阿弥陀仏によって開くのです。南無阿弥陀仏が私の生活の中心となることで、安心をいただけるのです。行く道がはっきりすれば、自分が迷っていたことに気付けるのです。誰もが皆迷っているのです。それに気づけるかどうか。もし道に逸れ迷ったとしても、また戻ればよいのです。進むべき道がはっきりしているのですから。浄土真宗という道理を生きることは、
どんな生き方をしようが根本は南無阿弥陀仏ということです。
筆・坊守 釈尼育英