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2026年7月の同朋の会

 今回は『歎異抄』第八条、「念仏は行者のために、非行非善なり。」という言葉から、行為としての念仏を確かめていきました。

 南無阿弥陀仏、お念仏は浄土真宗の門徒にとって、行でもなく善でもない。なぜなら念仏は自分の行為ではなく如来の促しだからです。

 阿弥陀如来が私に念仏を言わせている。「私が念仏をしよう」と思う一歩先から阿弥陀様が促しているのです。私達、凡夫が手を合わせて「南無阿弥陀仏」と口にする。まさしく阿弥陀様が私達にはたらいている形です。

 阿弥陀様がはたらいているから「南無阿弥陀仏」は自力ではなく、他力の念仏です。
 ただ自力と他力の関係は相対的なものではありません。親鸞が「自力をはなれたる」と言っているように、他力がはたらいたら自力が消滅するということではなく、他力がはたらくことによって自力を中心にして生きる自分の姿がハッキリするのです。このように私たちにもたらせる功徳はまさしく如来の善です。

 「南無阿弥陀仏」、自分が自分の声を聞く。一番普遍的な聞法だと思います。

(筆・釋裕香)

西福寺聖典学習会第2回

 山雄優生先生のもと『教行信証』の総序を振り返り、「教巻」まで進みました。

 この講座で『教行信証』を読んでいく視点、「念仏ってなんだっけ?」という大テーマを改めて確認しました。
 その上で総序の非常に重要なエッセンス、王舎城の悲劇を復習し、誰をも救われていく手立てが念仏であることを確かめました。

 そしてなんで念仏がそう言えるかということを「教巻」を通して学んでいきました。
 
 次回、第3回は8月22日(土)です。引き続き「教巻」の範囲を聞法していきます。

2026年5月の同朋の会

勤行のみ厳修。

西福寺聖典学習会第1回

 西福寺聖典学習会の初回を無事終えることが出来ました。参加者の皆様お疲れ様でした。そして講師の山雄優生先生ありがとうございました。
 
 初回ということで山雄先生から『教行信証』を読む際の姿勢や、総序の頭の部分などを話していただきました。
 
 次回は2026年6月20日(土)14時~(受付13時30分~)です。ぜひ参加をお待ちしております。

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