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西福寺聖典学習会第4回

 今回は『教巻』の引用文の続きを学んでいきました。

 『如来会』を引用した親鸞の意図、『平等覚経』の親鸞の読み方を山雄先生から丁寧に教えていただきました。そこから阿弥陀仏の教えが説かれている『大無量寿経』が、時代を超え私たちにも通じはたらく教えであると親鸞は私たちに伝えようとしていると学びました。

 第2回、第3回、第4回にかけて「念仏」ってなんだっけ?という課題で『教巻』を読みました。振り返ってみますと、念仏というものを支えるものは何か、そしてそれは私たちと無関係ではないということを親鸞は『教巻』で表現しています。

 次回からは『行巻』に入ります。いよいよ「念仏」の中身を行(ぎょう)の側面から見ていきます。それでは、次回も先生のもと学んでいきましょう。

2026年9月の同朋の会

 今回は皆さんと共に『同朋新聞八月号』のマンガを読みました。掲載されていたマンガのテーマである「相続」について住職に喋ってもらいました。

 マンガに描かれているような三世代が集う場があれば自ずと念仏相続が為されていくのですが、近年はそういう光景が少なくなっていきました。相続する場、ご法事が執り行われ親族知友が集う場など場そのものに対する課題を皆さんと共有しました。

 また秋のお彼岸前と言うことで迎えるにあたって、お彼岸のお話も住職からありました。彼岸というのは真宗において阿弥陀の浄土を指し、此岸は私たちが生きている世、娑婆世界を指します。

 多くの人が彼岸と此岸を分けて別の世界だとイメージしがちだと思うのですが、住職は浄土が娑婆世界を包んでいる受け止めだと話しました。阿弥陀の浄土は娑婆世界を超えた覚り(さとり)の世界です。超えるということは分離するということではありません。娑婆世界に在中しながら私たち衆生は阿弥陀のはたらき、お念仏に遇えるのです。けっして遠くの世界のお話ではありません。

(筆・釋裕香)
 

西福寺聖典学習会第3回

 今回は『教巻』の大経の引用文を山雄先生に講義していただきました。

 親鸞が引用から伝えたいことを考えて受け止めていくのは奥が深いものがあります。文類という現代では中々お目にかかれない形式から現代語訳しただけでは味わいつくせない妙味、親鸞ワールドがあります。

 当講座で、はじめて親鸞の引用文にあたり、その奥深さを先生は丁寧に解説して下さいました。

 次回は10月17日(土)です。次回も先生のもと、共に学んでいきましょう。

2026年7月の同朋の会

 今回は『歎異抄』第八条、「念仏は行者のために、非行非善なり。」という言葉から、行為としての念仏を確かめていきました。

 南無阿弥陀仏、お念仏は浄土真宗の門徒にとって、行でもなく善でもない。なぜなら念仏は自分の行為ではなく如来の促しだからです。

 阿弥陀如来が私に念仏を言わせている。「私が念仏をしよう」と思う一歩先から阿弥陀様が促しているのです。私達、凡夫が手を合わせて「南無阿弥陀仏」と口にする。まさしく阿弥陀様が私達にはたらいている形です。

 阿弥陀様がはたらいているから「南無阿弥陀仏」は自力ではなく、他力の念仏です。
 ただ自力と他力の関係は相対的なものではありません。親鸞が「自力をはなれたる」と言っているように、他力がはたらいたら自力が消滅するということではなく、他力がはたらくことによって自力を中心にして生きる自分の姿がハッキリするのです。このように私たちにもたらせる功徳はまさしく如来の善です。

 「南無阿弥陀仏」、自分が自分の声を聞く。一番普遍的な聞法だと思います。

(筆・釋裕香)

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