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2026年9月の同朋の会

 今回は皆さんと共に『同朋新聞八月号』のマンガを読みました。掲載されていたマンガのテーマである「相続」について住職に喋ってもらいました。

 マンガに描かれているような三世代が集う場があれば自ずと念仏相続が為されていくのですが、近年はそういう光景が少なくなっていきました。相続する場、ご法事が執り行われ親族知友が集う場など場そのものに対する課題を皆さんと共有しました。

 また秋のお彼岸前と言うことで迎えるにあたって、お彼岸のお話も住職からありました。彼岸というのは真宗において阿弥陀の浄土を指し、此岸は私たちが生きている世、娑婆世界を指します。

 多くの人が彼岸と此岸を分けて別の世界だとイメージしがちだと思うのですが、住職は浄土が娑婆世界を包んでいる受け止めだと話しました。阿弥陀の浄土は娑婆世界を超えた覚り(さとり)の世界です。超えるということは分離するということではありません。娑婆世界に在中しながら私たち衆生は阿弥陀のはたらき、お念仏に遇えるのです。けっして遠くの世界のお話ではありません。

(筆・釋裕香)
 

2026年7月の同朋の会

 今回は『歎異抄』第八条、「念仏は行者のために、非行非善なり。」という言葉から、行為としての念仏を確かめていきました。

 南無阿弥陀仏、お念仏は浄土真宗の門徒にとって、行でもなく善でもない。なぜなら念仏は自分の行為ではなく如来の促しだからです。

 阿弥陀如来が私に念仏を言わせている。「私が念仏をしよう」と思う一歩先から阿弥陀様が促しているのです。私達、凡夫が手を合わせて「南無阿弥陀仏」と口にする。まさしく阿弥陀様が私達にはたらいている形です。

 阿弥陀様がはたらいているから「南無阿弥陀仏」は自力ではなく、他力の念仏です。
 ただ自力と他力の関係は相対的なものではありません。親鸞が「自力をはなれたる」と言っているように、他力がはたらいたら自力が消滅するということではなく、他力がはたらくことによって自力を中心にして生きる自分の姿がハッキリするのです。このように私たちにもたらせる功徳はまさしく如来の善です。

 「南無阿弥陀仏」、自分が自分の声を聞く。一番普遍的な聞法だと思います。

(筆・釋裕香)

2026年5月の同朋の会

勤行のみ厳修。

2026年3月の同朋の会

宗祖親鸞聖人が偈前の文で「仏恩の深遠なるを信知して正信念仏偈を作りて曰く」から正信偈が始まります。私達の迷いの世界の中で迷いながらも揺るぎない生活を送れるよう、念仏することを勧めて下さっています。なぜ念仏なのでしょうか。

 来月4月から隔月で当山聖典学習会がいよいよ始まります。親鸞聖人の主著である教行信証を学びながら、聖人のお言葉に触れ、そのお心を探っていけたら、と思います。ご興味のある方は、どうぞご一緒に学んでいきましょう。


(筆・坊守 釋尼育英)

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