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2016年8月 同朋の会

2016年8月20日 
この日は、晴れから突然雨、その逆が繰り返される天候の中、11名の方が出席されました。

テキスト:東本願寺「真宗会館」発行 ”仏事ひとくちメモ”

① 11. 法事のこころ:
・法事の日取りは: 命日もしくはそれに近い日。お招きする方々の集まり易い日。(命日よりも後でも良い)
・どんな気持ちでお勤めを: 亡き方を偲びながら、お陰様でありがとうございますという気持ちで、仏さまの教えを聞かせていただく。
・同朋新聞8月号P4 現在(いま)を生きる: 忘れていた大切なことを亡き方(息子)に教えられた記事があった。今、こうして西福寺の同朋の会に参加しているのも、亡き方のお導きである。

② 12. 法事の案内: 案内文の参考例あり
③ 13. 法事の準備: 会場づくり例参考に。
④ 14. 法事の当日: 数珠を忘れずに。
⑤ 15. 施主の挨拶

⑥ 16. お斎: 精進落としという葬儀屋さんがいたが、その様な言葉は無い。豪華にする必要は無い。住職との語らい、親戚同士の語り合いの場。
⑦ 17. 献杯といただきます/18.お膳:  
浄土真宗では「献杯」はしない。食べ物、飲み物をいただくときは「いただきます」。仏さまは食べるという事はしないので食べ物のお供えは不要。お斎会場に遺影、料理を供える必要もない。
・「念仏・成仏是真宗」これが阿弥陀様の本当の願い。
仏、諸仏が私達に働いてくれる。他宗は、私が働いてご利益をもらう。
・仏壇の中には、食物は供えないこと。

⑧ 19. 法事を終えて

⑨次回 同朋の会 9月10日(土)午後2時より 「作法・行事編」 西福寺1階 
ご興味のおありの方是非、お気軽にお越しください。お待ちしております。

後記:
どうしても私が亡き方の為に何かをしてさしあげると考えてしまうが、本当は亡き方から教えられているのだ、という事を心に留めておきたいと思います。(釈和敬)

7月同朋の会

「7月23日同朋の会」

当日は、真宗大谷派 東本願寺「真宗会館」発行
“仏事ひとくちメモ 中陰・法事編”から、

「9.年忌法要」「10.法事をつとめる」を中心に学びました。

・浄土真宗の年忌法要は、亡くなった方を救う為の追善供養ではない。

・亡き方が、親戚等が疎遠になった頃、一同に集まる機会をつくってくださっている。

・「またお会いしましたね」。亡き人と出会い、
 忘れかけていた大切なものをふと感じさせていただき、
 普段会わない人と言葉を交わし、命の繋がりを感じる大切さ。

・お寺は、教えの湧き出る所。亡き方を通して阿弥陀様の働きを届けて頂き、
 南無阿弥陀仏の念仏を、改めてお教えいただく。

・いきいきと生きていますか。むなしく過ごしていませんか。
・自分の物差しでしか他を見ることのできない私達、南無阿弥陀仏と申し心を定め、
 念仏以外のものを頼りにしなくても良いですよ、という教え。
・念仏を申して心の支えとし、ご本尊は南無阿弥陀仏、これしかないのです。

・法事をおつとめする意味とは?

(1)私達自身が救われていく:
 聞法とは、仏法を聞く・真実の言葉に出あうこと。
 
 亡き方から、本当に聞きとらなくてはならない大事なことを感じとる
(2)「報謝」を知る:
 真実に出会えた時、お教え下さった方々に感謝する心が生まれる。

 そのとき初めて、亡き人に手が合わされ、亡き人を仏さまとしていただくことができる。
(KT)

次回同朋の会は8月20日(土)14時~ です。
暑い日が続きますが体調に気をつけてお出かけください。
(T+M)

6月の同朋の会

『仏事ひとくちメモ 中陰・法事編』を読み、仏壇についてのお話しをききました。

お仏壇=お内仏も、ついつい亡き人を供養するもの、と考えてしまいがちですが、真宗ではやはりこれもあくまで亡き方たちのはたらきを通して、今に生きている自分達のためにあるものだ、というお話でした。
「私たちがお内仏の前に座り念仏をとなえ合掌するのは、生きる依り所を学んでいくことなのです」(ひとくちメモより)

時節柄、新盆についての質問がありました。
よくお盆のお飾りとして聞かれる、ちょうちん、なす・きゅうり、等は真宗ではいずれも必要ありません。ただ、もし遠くのご親戚から頂いたりしたものがあれば、とくに使っても問題はないとのことでした。わざわざ買い求める必要はまったくないそうです。

さて次回、次回の同朋の会は 7月23日(土)14時~ です。
その前には早いものでお盆ですね。またお知らせいたします。
(M)

5月の同朋の会

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今回はちょっとしたきっかけから、あらためて真宗の教えの基本とは、というお話になりました。

健康面にせよお金のことにせよ、ついつい普段の生活がうまく行っていると安心、逆になにか調子が悪くなると不安を感じてしまう私たち。それが悪いわけではなく、人間とはそういうものです。
自分が期待する結果なら安心、でもそれはあくまで一時的な見せかけの安心、人間が作った土台の上の話でしかない、必ずこわれてなくなる、不安定なものです。

そうではない、阿弥陀部さまの教えを生きる土台にして、調子の良い時も悪い時も安心していましょう、というのが真宗の教えの根本で、正信偈の回向の最後、「往生安楽國」というのはそんな阿弥陀さまの世界なのだ、とのことでした。

私が今年に入ってからずっと体調がすぐれないので、よくわかるのですが、やはりつい身近な安楽を求めてしまいますね…

来月は6月18日(土)14時~ の開催です。
みなさまのお越しをお待ちしております!
(M)