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3月の同朋の会

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今月も引き続き葬儀のかたちについてお話しを聞きました。

真宗の葬儀の話を聞いていると、人の死に対して感情的になることから少し距離を置く、という考え方があるように思います。
東日本大震災からちょうど5年という時期で、テレビ等から「慰霊」という言葉をよく耳にしていたので、たとえば「何の落ち度もないのに突然の事件・事故などで亡くなった方を慰霊する気持ち」なども真宗の教えからすると少し違うものなのか、住職に質問してみました。

「慰霊するという気持ちじたいは人間の自然な感情で、それが悪いわけではもちろんない。亡き人とお別れをしなければならない、という感情の部分を切り捨てるような『冷たい教え』というわけではない。ただ、『慰霊の感情』を越えた先のことを見てほしいという気持ちはある。
蓮如上人の有名な『白骨の御文』にあるように、『今日とも知らず明日とも知らず』おこりうるのが人の死。いつ死んでもおかしくないことを頭ではわかっていても、つながりの近い人との関係が断たれた時に、私たちは誰でも打ちのめされてしまう。その時には、どんな慰霊の気持ちも手遅れで、決して癒されず、報われない— そんなふうに自分の価値観がゆらぐ時こそ、教えに出会う契機になるのではないか…」というようなお応えを聞きました。
そして、それが葬儀というものの意義であるのかもしれません。

そんな会の直後、私の親しい友人の父が亡くなり、家族葬を選択した、という連絡を受けました。なんとも複雑な感情におそわれました。こんど彼に会ったら色々話してみたいと思います。

さて次回、次回の同朋の会は4月23日(土)14時~ です。
まだ少し寒い日が続きます。体調管理に気をつけて過ごしたいと思います。
(M)

2月の同朋の会

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今日は2月の同朋の会でした。
冷たい雨が降る一日ではありましたが、
西福寺自慢のしだれ梅はきれいに咲いていました。

引き続き、『仏事ひとくちメモ 通夜・葬儀編』を読み進めつつ、
「皆さん、信心はありますか?」というお話に。

自分の頭のなかで「うん、この真宗大谷派の教えはなかなか良さそうだから、ひとつ信じてみようかな」…これは真宗大谷派の考える信心とは少し違うそうなのです。世間一般にはついこう考えてしまいそうなものですが。
教えは、自分が納得したから信じる/納得できないから信じない、というものではなく、誰にでもつねに平等に届いていて、どんなあなたでも必ず救う阿弥陀さまの力である。「太陽の光みたいなもの」と住職が補足されて、なるほどとわかりやすく感じました。

現代人は答をはっきりと知って理解したい、という気持ちがときに強すぎて、「わからないまま」でいることがよく思われない風潮が強まっているようだけど、それは一歩間違えるとあぶないことでもあるのでは? という問いかけもありました。

「仏法は<学ぶ>もので、<理解する>ものではない」という住職の言葉も心に残りました。個人的に、子供がこんど小学生になるのですが、色々と話を聞いていると、最近の学校はどうも<学ぶ>場というよりも<理解する>場になっているような気がなんとなくしたのです。
入学説明会で「入学までに○○はできるようにしてきてほしい」「△△はしないように」…といういくつかの注意事項がまっさきに伝えられて、他人とともに生活するなかで規則や物事を体得していく、学ぶ時間がはしょられているような印象が強かった、という話を家人から聞いた直後だったので、どこかつながるような気がしたお話でした。

さて次回、次回の同朋の会は3月12日(土)14時~ です。
お彼岸も近づいてきています。暖かくなってくると良いですね。
(M)

1月の同朋の会

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明けましておめでとうございます。
今日は新年最初の同朋の会でした。

引き続き、『仏事ひとくちメモ 通夜・葬儀編』を読み進めました。

そこから、最近ニュースで話題になったこととして、大手通販サイト「Amazon.com」で僧侶の宅配がはじまり、お葬式にあたって、インターネットを通じて葬儀、僧侶をお願いできるようになったという話がでました。
もちろん、真宗門徒として諸手をあげて歓迎するようなことではないと思いますが、逆に考えると「ニーズがある」と言えるのかもしれません。
最近は人間関係が希薄になったと言っても、友人が、親族が亡くなった時にはやはりかけつけたい、葬儀はしなければいけない、という気持ちは、まだ大切な感覚として残っているのではないか、という話になりました。

きちっと仏事をする、ということに対してさらに考えていきたいと思いました。

今年最初の集まりということで、同朋の会のあと新年の交歓会がありました。
歓談をしたり、自己紹介をかねてお寺とのおつきあいのきっかけを話したり、和やかかつお互いを知るきっかけになるような集いとなりました。

さて次回の同朋の会は2月20日(土)14時~ です。
今年も一年よろしくお願いいたします!
(M)

12月の同朋の会

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今日は今年最後の同朋の会でした。

引き続き、『仏事ひとくちメモ 通夜・葬儀編』を読み進めました。

そこからゆるやかに話が広がり、いったいいつ仏になるのか、どうすれば仏になるのか…? 
これらの問いに重きを置きすぎたり、ゴールを求めすぎたりしないこと、
それも真宗と他宗派との違いなのかもしれない、とのことでした。

日々の暮らしのなかで出てくる様々な問題事についてもまたしかり、
とくに現代の日本で教育を受けていると、つねに結果・答を求めたがる、
ということもあるのかもしれません。
でも、真宗の教えでは、わかったから良い/わからなかったら悪いでもない、そこはぼかしておいて良い。修行を通じて答に向かって突き進むのではなく、阿弥陀様の願いにまるごと乗っかり、お念仏をとなえることで仏になる身と「定まる」ことが大切—

というようなお話になりました。

最近友人に勧められて読みはじめた、内山節さんの『こころの場所』という本の冒頭が
この時のお話と近しく感じられ、興味深く読んでいます。
キリスト教やイスラム教とは違い、仏教は真理を示すのではなく、「真理に気づくための方法」を提示する。しかもその方法(たとえば念仏)で真理を知ることができるのか、と言われれば答えられない。なぜなら真理を知ることの彼方にあるものが真理だから。仏教は、本当の真理は言葉の奥にある、解き明かせないものであることを忘れないー 等々。もう少し読み進めていきます。

さて次回、来年最初の同朋の会は1月23日(土)14時~ です。
会の後、新年の集いもある予定ですので、
みなさまのお越しをお待ちしております。
(M)